同窓会の歴史

東京医科大学及び同窓会略史

大正4年(1915)
12月18日
当時の日本医学専門学校学生は,理事者と意見を異にし,学校経営者磯部氏に対し改革意見を提出し,三ヶ条を決議し,血判連署を以って盟約した。
大正5年(1916)
5月16日
日本医学専門学校学生450名は,かねての盟約により同盟総退学を決行。新校設立運動をはじめる。
9月11日
牛込神楽坂東京物理学校内に東京医学講習所を設けて開校。東京医学専門学校創立事務所を設置し,高橋琢也氏が創立委員長,佐藤達次郎氏が教務主任となる。
大正6年(1917)
6月13日
東京府豊多摩郡大久保町(現在地)に13,904平方米の校地を購入。
大正7年(1918)
1月
木造2階建校舎598平方米落成。東京医学講習所は仮校舎から新校舎に移る。
4月11日
東京医学専門学校の設立認可あり。理事長に高橋琢也氏,校長に佐藤達次郎氏が就任。学生定員400名。
4月13日
開校記念式を挙行。この日を創立記念日と定め,今日に至る。
5月
附属博済病院開院。校長佐藤達次郎氏が院長を兼任。
7月28日
第1回卒業式挙行。卒業生78名。
大正8年(1919)
7月
東京医学専門学校医学士会が成立。
大正9年(1920)
4月13日
文部省より無試験開業資格の指定を受ける。
6月28日
指定後としての第1回卒業生を出す。
大正10年(1921)
6月
東京医学専門学校集談会成り,後に東京医学専門学校医学会,更に東京医科大学医学会に発展。
大正12年(1923)
7月
学生定員600名の認可が740名認可となる。
大正13年(1924)
12月
高橋琢也理事長の喜寿を祝い,同窓が朝倉文雄氏の作による等身大の寿像を建立,除幕式挙行。
大正14年(1925)
5月
多摩墓地内に解剖者納骨堂を建立。
11月
東京医学専門学校昇格学生期成同盟会を設立。
大正15年(1926)
9月
医学士会は東京医学専門学校大学昇格期成後援会を設立。
昭和2年(1927)
12月
東京在住の同窓会「東々会」が発足。
昭和3年(1928)
3月20日
付属病院入院病棟全部及び基礎医学教室の大半を焼失。
5月
大火災復興のため学生並びに職員がそれぞれ母校復興後援会・母校振興後援会を設立。
9月
戸山脳病院を買収し,加藤普佐次郎氏,次いで安部達人氏が院長。
昭和4年(1929)
2月
戸山にある付属病院,失火全焼し,廃止。
4月
付属病院の病棟木造モルタル塗2階建801.9平方米が落成。
10月
第一期基礎医学教室鉄筋コンクリート地下1階地上3階,4,725.6平方米が落成。
11月10日
創立十周年記念並に新校舎落成祝賀会挙行。
昭和5年(1930)
大正13年当時の校友会の意図により校歌の歌詞「ヒポクラテス」が土井晩翠氏作詞,昭和5年平野主人氏作曲。
3月
母校復興後援会と振興後援会が合併し,東京医学専門学校後援会が成立。
10月
母校後援会活動の結晶として,淀橋町柏木に8,131.2平方米の土地を買収。これが現在の付属病院敷地の基礎となる。
昭和4年1月東京医学専門学校医学士会会員名簿を発行。
昭和6年(1931)
既に医学士会支部の形で活動していた支部は,関西支部,名古屋支部,大分支部,鹿児島支部,広島支部,金沢支部,山梨支部,山形支部,青森支部,埼玉支部など。
5月10日
淀橋診療所を開き,清水茂松氏所長。
昭和7年(1932)
7月9日
北九会発会式が福岡市にて挙行。
10月
柏木に鉄筋コンクリート2階建病棟1,577.4平方米が落成。
11月
淀橋診療所の病棟落成を機に東大久保の博済病院を廃止統合,淀橋病院として開院,院長に清水茂松氏が就任。西勇雄氏が清水茂松氏に代り教頭。
昭和8年(1933)
4月28日
淀橋病院敷地内南隅に高橋理事長舎宅を建築,後援会より贈呈。現在茨城医療センター内に高橋会館として残す。
昭和9年(1934)
4月5日
東々会主催同窓懇親会が第9回日本医学会総会に際し,芝公園紅葉館にて行われ,地方及び在京103名が出席。
6月
病院敷地内に隔離病舎鉄筋コンクリート2階建491.7平方米が落成。
昭和10年(1935)
1月20日
母校創立者高橋琢也翁ご逝去。この日を高橋先生記念日と定める。
1月23日
理事長高橋琢也氏の校葬挙行。校長佐藤達次郎氏が理事長に就任。
3月
後援会長佐藤達次郎氏辞任,会長に清水茂松教授,副会長に佐々一雄氏が就任。学生定員60名に変更。
4月2日
北陸支部発会式が金沢市にて挙行。
6月10日
「東医学園時報」創刊。
7月14日
岩手県支部発会式開催。
7月16日
宮城県支部発会式開催。
8月18日
和歌山県支部発会式開催。
10月3日
沖縄支部会が那覇市にて開催。
昭和11年(1936)
7月15日
新潟県支部発会式開催。
8月7日
東医浪速会発足。
9月23日
台湾支部発会式が台南市にて開催。
昭和12年(1937)
5月9日
群馬県支部発会式開催。
6月6日
世田谷区支部発会式開催。
10月31日
奈良県支部発会式開催。
11月
淀橋病院鉄筋コンクリート地下1階地上3階建2,597.1平方米が落成。
昭和13年(1938)
2月1日
遠江支部発会式開催。
7月3日
第1回神奈川東医同窓会が横浜支部発会式を兼ね開催。
9月15日
満州東医会発会式が撫順市にて開催。佐々一雄氏が出席。
10月6日
病院敷地内に第1臨床講堂445.5平方米が落成。
12月
木造瓦葺モルタル塗病棟2階建623.7平方米が落成。
昭和14年(1939)
2月
学生明倫寮を移築し,第3病棟木造モルタル2階建775.5平方米が落成。
昭和15年(1940)
1月
看護婦宿舎300.3平方米が落成。
10月26日
茨城県支部発会式挙行。
12月
学会誌「東京医学専門学校雑誌」創刊。
昭和16年(1941)
2月20日
函館支部より金500円也が昇格促進に寄附。
8月24日
鹿児島県支部東医会が新たに発足。
昭和17年(1942)
5月1日
大学創立準備委員会を組織し,委員長に高橋律人常務理事就任。
8月
板橋区石神井に予科の予定地とし校地17,773.8平方を購入。
9月30日
第2校舎木造モルタル塗2階建600.6平方米が落成。
11月3日
東京医科大学設立の申請を文部大臣橋田邦彦氏に提出したが時局柄許されず,当局の指示により申請を取り下げ。
昭和18年(1943)
12月20日
「東医学園時報」は130号をもって休刊。
昭和19年(1944)
9月
世田谷区松原町に松原分院を開設,藤井尚久氏が院長に就任。
10月9日
理事会に於て理事5名以上,監事2名以上,評議員30名以上とするよう寄附行為の改正を決議し,30日評議員会の決議を経て,当局に認可申請書を提出。
昭和20年(1945)
4月13日
B29の大空襲により,博済病院外来本館であった事務館,講堂,生理及び法医学教室,道場等8棟が焼失。
5月23日
松原分院の大部分が焼失。
7月
戦災のため第1学年は長野県諏訪郡湖東村に,第2,第3学年は長野県飯田市に疎開し,終戦後10月に帰校。
11月1日
東京医学専門学校にて授業を開始。
昭和21年(1946)
1月24日
東京医科大学設立認可申請書を文部省に提出。
5月11日
附属東京保健女子学院設立,緒方知三郎学長が学院長を兼任。
5月15日
文部大臣安部能成氏より大学設立を認可。緒方知三郎氏が学長及び理事長に就任。付属淀橋病院を東京医科大学病院と改称。大学昇格より東京医学専門学校医学士会は東京医科大学同窓会と改称,同窓会会則を制定し,会長に佐々一雄氏が就任。同窓会費は年額200円となる。
昭和22年(1947)
4月
予科を開校し,清水茂松氏が予科長に就任,西大久保保善商業学校の一部を借用し,授業を開始。
6月
昭和17年3月休刊の「東京医学専門学校雑誌」を「東京医科大学雑誌」第5巻第1号として刊行。
8月2日
東京医学専門学校を東京医科大学専門部と名称変更が認可され。緒方知三郎学長が専門部長を兼任。
昭和23年(1948)
5月15日
大学昇格三周年を兼ね,同窓会の寄贈による西病棟木造2階建1,296.9平方米の落成式を挙行。同窓会は全国都道府県及び台湾に支部を置き,各支部の推薦により支部長を本部が委嘱し,母校との連携を密にするとともに重大な事項は支部長会議において決定することになる。
10月1日
「東医学園時報」が同窓会版として再刊。
10月30日
第3校舎木造平屋建554.4平方米,第4校舎木造平屋建277.2平方米,第5校舎木造平屋建115.5平方米,第6校舎木造平屋建99平方米,第7校舎木造平屋建99平方米,計5棟1,145.1平方米が落成。
10月31日
本学園創立30周年記念式典を挙行。
12月10日
仮校舎東京保善商業から新校舎に予科が移転。
12月20日
西病棟に木造2階建620.4平方米を増築。
昭和24年(1949)
3月23日
旧制大学学部の開設が認可。
3月25日
佐々一雄氏が専門部長,赤塚京治氏が保健女子学院長に就任。
4月
茨城県阿見町に31,145.4平方米の土地を借入。
4月13日
学部開学式を挙行。
9月30日
茨城県阿見町に東京医科大学霞ヶ浦病院を開設。高橋不二彦氏院長就任。
11月12日
結核病棟木造モルタル塗2階建231平方米が落成。
11月21日
同窓会全国代表者大会(同窓会総会)を開催し,2千万円の校債発行を承任。
12月1日
「東医学園時報」は臨時第2号をもって休刊。
昭和25年(1950)
3月9日
大学教授として臨床医学教員の就任が文部省より認可。
6月15日
東京医科大学新聞が発刊される。
7月30日
鳥取島根合同同窓会が玉造温泉にて挙行。
昭和26年(1951)
3月1日
血液銀行を開設。
3月5日
財団法人を学校法人への組織変更が文部大臣より認可。
3月14日
同上法人の登記を完了し,理事長に緒方知三郎氏が就任。
3月15日
東京医科大学維持会が設立され,佐々一雄氏が会長に就任。
3月31日
大学予科および東京保健女子学院が閉鎖。
11月18日
結核病棟鉄筋コンクリート2階建1,877.7平方米が落成。
昭和27年(1952)
2月20日
新制度による東京医科大学の設置が認可,入学定員60名,総定員240名となる。
3月20日
専門部最後の卒業式を挙行,専門部は同日をもって閉鎖。
4月15日
新制医科大学第1回入学式挙行。
9月19日
第2臨床(外科)講堂木造モルタル塗155.1平方米,学生ホール89.1平方米が落成。
10月11日
同窓会年会費500円となる。
昭和28年(1953)
3月25日
大学第1回卒業式挙行。卒業生51名。
4月28日
病院内に産院木造モルタル塗2階建356.4平方米50床が落成。
7月22日
霞ヶ浦病院病棟木造平屋建534.5平方米50床が落成。
12月10日
「東京医科大学新聞」は第15号をもって休刊。
昭和29年(1954)
1月11日
結核病棟,増築鉄筋コンクリート3階建891平方米が落成,延2,759.53平方米となる。
7月3日
病院本館4階上に128.7平方米の増築が完成。
9月3日
教務局を廃止し教育委員会制となり,委員長に佐野幹氏が就任。
9月10日
学位審査制度が認可。
9月
霞ヶ浦病院に木造平屋建病棟が落成。
10月24日
同窓会維持会総会が開催され,東京医学専門学校創立を大正5年とすることに決定。
11月1日
東京医科大学健康保険組合設立が認可。
11月20日
東京医科大学同窓会維持会新聞が維持会との協力により発刊。
昭和30年(1955)
1月20日
神経科病棟鉄筋コンクリート地下1階,地上4階1,125.3平方米が落成。6年制医科大学設置が認可,進学課程を置く。
1月22日
第1回学位審査が行なわれ,佐々一雄氏他4名が学位記を取得。
2月12日
学生ホール木造モルタル塗438,9平方米が落成。
3月20日
進学課程第1回入学試験。
3月25日
旧制医科大学最後の卒業式挙行78名が卒業。
4月30日
新制度進学課程第1回入学式。
5月17日
病院開院25周年記念式挙行。
9月5日
大学本部館鉄筋コンクリート3階建980.1平方米が落成。
昭和31年(1956)
5月10日
看護婦宿舎鉄筋コンクリート4階建2,343平方米が落成。
9月26日
上高地診療所127平方米が落成。
11月9日
本学創立40周年記念行事。
11月10日
創立40周年記念同窓会,維持会総会開催。
昭和32年(1957)
3月15日
大学院設置認可。生理学実習室木造モルタル塗155.1平方米が落成。
4月1日
病院付属准看護婦学校設立認可,田林綱太氏校長に就任。
4月20日
中央病棟鉄筋コンクリート地下1階地上5階3,115.2平方米が落成。
5月7日
第3病棟623.7平方米が落成。
10月13日
同窓会千葉県支部創立。
11月8日
外来本館鉄筋コンクリート地下1階地上6階7,619.7平方米が落成。基礎1号館地下1階地上4階999.9平方米ならびに図書館990平方米の落成式挙行。
11月11日
同窓会開催、次年度より会費1000円となる。
昭和33年(1958)
6月10日
新に「組織及び職制並びに職員規則」が制定され,病院管理長の制度を改め,院務の管理は院長に委嘱される。
10月10日
東大久保職員寮1,178.1平方米が落成。
10月11日
高知東医同窓会挙行。
11月27日
病院敷地内に職員単身者寮1,346.4平方米が落成。
昭和34年(1959)
10月11日
総会にて同窓会館建設が可決され,資金募集に着手。
11月14日
福井県支部創立。
12月24日
西病棟を松原敷地内に移改築して職員住宅二棟,延1,006.5平方米,32戸が落成。
昭和35年(1960)
2月2日
学生単身寮鉄筋コンクリート地下1階地上3階建1,706.1平方米51室が落成。
3月25日
同窓会館地鎮祭。
3月27日
熱海来の宮の職員保養所にて温泉堀削中,温泉1日当り500石の湧出を見る。
6月15日
多摩墓地に本校被解剖者新墓域「無量寿」完成。
昭和36年(1961)
2月9日~11日
南病棟鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建9,741.6平方米ならびに同窓会館鉄筋コンクリート地下1階地上4階建1,943.7平方米の落成式並びに披露式を挙行。
2月11日
同窓会館の贈呈式にて馬詰嘉吉会長から佐々一雄理事長に贈呈。
7月13日
創立45周年記念事業として学債10億円の募集開始。
10月21日~22日
創立45周年記念式典行事が,全国の同窓を招き大学及び厚生年金会館にて挙行。
昭和37年(1962)
5月30日
教員の定年規程が制定。
12月27日
霞ヶ浦病院看護婦室および渡廊下木造平屋建158.4平方米が落成。
昭和38年(1963)
4月6日
第9校舎(進学課程教室)鉄筋コンクリート3階建762.3平方米が落成。
8月18日
全国支部長会議が開催され,学債応募額は7億円であり,募集を2ケ年延長することになる。
12月11日
学長選挙内規が改正される。
12月25日
看護婦寄宿舎鉄筋コンクリート地下1階地上7階建1,890.9平方米が落成。
昭和39年(1964)
1月11日
学生入学定員80名が認可。
4月1日
大学付属高等看護学校の設立が認可され,与謝野光氏が校長に就任。
昭和40年(1965)
2月17日
臨床病理学教室が独立。
4月19日
霞ヶ浦病院看護婦寄宿舎鉄筋コンクリート2階建485.1平方米が落成。
5月17日
第3校舎,進学課程教室,生理学教室及び図書館分館等の鉄筋コンクリート地下1階地上4階建,延3,504.9平方米が落成。
7月13日
病院内職員学生兼用食堂プレハブ2階建442.2平方米が落成。
7月23日
同窓会地区代表委員会にて,病院の土地を拡張するための50周年記念短期学債5億円募集について賛同。
8月25日
基礎医学本館の大改修工事に着手。同12月25日完成。
11月7日
同窓会,維持会総会にて学校法人寄附行為を改正し理事定員15名,監事定員3名,評議員定員45名の原案に,賛意表明。
12月1日
脳神経外科学教室が独立。
12月27日
学生定員100名に増員認可。
昭和41年(1966)
3月20日
同窓会,維持会支部長会議にて創立50周年記念会館建設案が承認,体育館及び講堂の設立その他が決定。
5月1日
原三郎氏の執筆による「東京医大50年の歩み」が同窓会より刊行。
11月8日
記念会館の落成式が行なわれ,鉄筋コンクリート地下1階地上2階2,933.7平方米が同窓会から大学に贈呈。
11月12日
大学創立50周年式典が新記念会館で挙行。
11月13日
ホテルニューオータニにて常陸宮同妃両殿下御臨席のもと50周年記念式典が行なわれ,特別講演に森戸辰男氏の「大学の当面する諸問題」。
11月14,15日
椿山荘にて職員の祝賀パーティー挙行。
昭和42年(1967)
1月19日
財団法人東京医大がん研究事業団よる,がんセンター放射線治療棟鉄筋コンクリート地下1階2階建1,930.5平方米が落成,披露式挙行。
3月1日
中央病棟の所有権は名儀上東京中央卸売市場健康保険組合,これが本学に移譲。高等看護学校寄宿舎鉄筋コンクリート5階建232平方米余が落成。
12月31日
財団法人東京医大がん研究事業団成立,佐々一雄氏理事長に就任。
昭和43年(1968)
1月1日
病院機構改革により診療管理部が設置,部長に教授鈴木三郎氏が就任。月刊「東京医科大学報」が創刊。
5月11日
霞ヶ浦病院増築鉄筋コンクリート1部地階付2階建2,234平方米が落成。同院の20周年記念式典挙行。
昭和44年(1969)
3月
霞ヶ浦病院の医員宿舎鉄筋ブロック造2階建が竣工。
4月
病院電子顕微鏡室が竣工。
9月
付属高等看護学校本校々舎及び寄宿舎鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建の増築竣工。
11月9日
同窓会総会にて会則が承認。同窓会資金3千万円を後進の育成,研究助成資金とすることが可決承任。
昭和45年(1970)
3月29日
同窓会臨時総会開催。本年度より年会費2千円となる。
7月19日
同窓会常任幹事会で,同窓会助成基金規定及び同窓会賞表彰規定が決定し,基金は通称「ヒポクラテス基金」と決定。
11月15日
次年度より同窓会総会は5月に開催することにきまる。
12月
研究助成,会員福利を目的に「特別資金」造成のため生命保険部をおくことになる。
昭和46年(1971)
1月11日
学生定員120名の認可。
3月31日
付属高等看護学校別科校舎および寄宿舎鉄筋コンクリート造4階建延2,395.8平方米が落成。
4月7日
茨城県稲敷郡阿見町所在土地32,577.6平方米,建物15棟延3.168平方米の国有財産の払下げを受ける。霞ヶ浦病院第1,2,3病棟鉄筋コンクリート平屋建が竣工。
5月20日
南病棟屋階に増築中の小児病棟が完成。薬剤室増築が完成。
6月23日
相模原市文京1丁目所在地1.904平方米の寄付を受け、同所921平方米を購入。
8月10日
本学マスタープラン委員会が発足。
9月18日
霞ヶ浦病院教育研究棟及び中央検査棟鉄筋コンクリート造2階建延1,325平方米が落成。
10月20日
進学課程第9校舎増築鉄筋コンクリート造4階建延465平方米が落成。
11月21日
創立55周年記念式典が記念会館で行なわれ,併わせて故佐藤達二郎名誉学長,故佐々一雄名誉教授の胸像除幕式を挙行。
昭和47年(1972)
2月7日
佐々一雄先生追慕録が発刊。
3月1日
大学法人寄附行為の一部改正。
3月11日
病院内に教育棟鉄筋コンクリート5階建1,293平方米が落成。
4月1日
「ヒポクラテス基金」増強のため損害保険業務を行う,有限会社「ヒポクラテス社」を設立。
6月
霞ヶ浦病院学生寮および医員宿舎鉄筋コンクリート造2階建が落成。
7月22日
大学,同窓会共催の同窓会全国支部長会議でマスタプラン学債20億円の募集を決議。
10月
霞ヶ浦病院が総合病院となる。霞ヶ浦病院看護婦宿舎鉄筋コンクリート3階建が増築。
昭和48年(1973)
2月
霞ヶ浦第5病棟鉄筋コンクリート2階建が落成。
3月3日
石神井職員住宅A・B2棟,鉄筋コンクリート造4階建1,515.9平方米が落成。
4月1日
教員の定年に関する改正規定が施行。
4月5日
大学敷地内に中央校舎(動物実験センター併設)鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建延4,209平方米が落成。
5月13日
同窓会総会,終身会費制度が廃止。ヒポクラテス基金4千万円を達成。
12月14日
霞ヶ浦病院の研究棟,水治療室,麻酔科病棟鉄筋プレハブ平屋建造401.37平方米が落成。
昭和49年(1974)
3月
第3校舎の改修工事が竣工し,特にLL実習室の整備完了により,語学教育の充実をみる。
3月29日
霞ヶ浦病院の給食棟,鉄筋プレハブ平家建463.2平方米が落成。
7月10日
理事会にて,八王子にブランチ病院を持つことを決定。
7月
高等看護学校校舎増改築工事が落成。霞ヶ浦病院隣接私有地3,073.66平方米を購入。
9月26日
霞ヶ浦病院第6病棟鉄骨プレハブ造延449.82平方米平家建が落成。
10月10日
理事会にて,来の宮保養所の取毀しを決定。
昭和50年(1975)
1月10日
理事会にて,大学病院マスタープランに関連し,周辺地区再開発構想に参画することを決定。
4月1日
東京医科大学霞ヶ浦高等看護学校設立が認可。
10月17日
霞ヶ浦病院に医師宿舎鉄筋コンクリート建2棟,並びに学生寮鉄筋コンクリート2階建延2,597,14平方米が落成。
昭和51年(1976)
3月
東京医科大学紀要が創刊。
4月
医学部を6年制一貫教育に改め,「進学課程」「専門課程」を廃し,従来の「3学期制」を「前・後期制」に改める。
7月10日
財政強化委員会からの答申に基づき,財政強化答申実行会議の設置が決定。林純茂氏議長に就任。
9月10日
大学病院周辺再開発に関し,再開発協議会の参加を決定。マスタープラン学債を30億円を目標に,増額継続を決定。
11月10日
霞ヶ浦病院に「財団法人霞ヶ浦成人病研究事業団」を設立,馬詰嘉吉氏理事長に就任。
11月20日
創立60周年記念式典を記念会館にて,式典及び祝賀会を京王プラザホテルにて挙行。
11月
霞ヶ浦病院隣接私有地4,628平方米購入。
昭和52年(1977)
1月23日
マスタープラン学債は20億円を突破し,新たに10億円増額となる。
3月
霞ヶ浦病院内所有地630.35平方米及び建物1棟61.26平方米を売却し隣接地657平方米を購入。院内敷地の国有地約708.79平方米の払下げを受ける。
4月
献体団体「東寿会」発足。
5月30日
霞ヶ浦病院臓器別病棟鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建延5,509.34平方米が落成。
10月7日
霞ヶ浦病院の女子寮,学生寮3棟鉄筋コンクリート4階1部3階建延2,154.12平方米が落成。
11月17日
霞ヶ浦病院の第3学生寮1棟鉄筋コンクリート造3階建延389.63平方米が落成。
12月8日
東京医科大学がん研究事業団10周年記念式典挙行。
昭和53年(1978)
4月
専修学校移行に伴い附属高等看護学校を看護専門学校に,附属霞ヶ浦高等看護学校を霞ヶ浦看護専門学校に名称変更。
8月14日
大学基礎新館鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建延4,290.95平方米が落成し,薬理,法医,第2生理の各教室及び看護専門学校(但し当分の間)を大学病院から移転。
8月19日
八王子医療センターに関し八王子市との間に調印式を行う。
8月2日
上高地診療所再建の地鎮祭。
11月
霞ヶ浦病院開院30周年記念式典。
11月2日
八王子医療センターの地鎮祭。
昭和54年(1979)
5月12日
大学病院周辺再開発に関し,東京都都市計画局,水道局との間に調印式を挙行。
7月14日
上高地診療所鉄筋コンクリート造2階建延べ376.1平方米が落成。
11月13日
八王子医療センターの上棟式を挙行。
昭和55年(1980)
4月1日
杉江三郎氏が初代八王子医療センター長に就任。
4月11日
八王子医療センター鉄筋コンクリート造地下1階地上5階17,562平方米が落成。
7月7日
東医扇山ハイツ(看護専門学校学生寄宿舎)鉄筋コンクリート造地下1階地上3階延4,313平方米が落成。
9月20日
同窓会館宿泊施設の一時閉鎖。
昭和56年(1981)
3月27日
大学病院内に第1研究教育棟鉄筋コンクリート造地下1階地上8階延3,375.1平方米が落成。
3月31日
霞ヶ浦病院に中央病棟鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建延7,818.45平方米が落成。
6月7日
同窓会総会にて年会費5千円に値上げが承認。ヒポクラテス基金1億円突破。
11月14日
創立65周年記念式典および祝賀会を京王プラザホテルに於て挙行。
昭和57年(1982)
7月31日
霞ヶ浦病院保険薬局棟鉄筋コンクリート造2階建延889.5平方米が落成。
7月
高橋記念館木造平屋建を霞ヶ浦病院に移築。
11月16日
米国カンサス大学と姉妹校を提携し調印。
11月18日
霞ヶ浦病院,中央病棟・保険薬局・高橋記念館の落成式挙行。
昭和58年(1983)
3月31日
霞ヶ浦病院に人工透析棟鉄筋コンクリート造地下1階地上4階延1,559.91平方米が落成。
6月12日
同窓会総会にて役員の任期が2年から3年に延長。
7月27日
看護婦宿舎コスモハウス,鉄筋コンクリート造地上10階塔屋1階延6,086.24平方米が落成。
9月2日
新病院第1期工事分・放射線治療部,地下1階,放射線R1部門及びがんセンター部門,地下2階が落成。
昭和59年(1984)
6月29日
霞ヶ浦病院霞台職員住宅鉄筋コンクリート造延2,100.81平方米4階建が落成。
10月9日
故原三郎氏の全財産が御遣言により大学に寄付された。
10月23日
霞ヶ浦病院と中国大連医学院附属第一医院との間に学術交流提携の調印。
10月30日
中華民国中山医学院との姉妹校提携調印。
昭和60年(1985)
3月27日
霞ヶ浦看護専門学校校舎,鉄筋コンクリート造2階建が落成。
12月18日
大学新病院鉄筋コンクリート造地下2階地上19階建付属棟を含み延70,909.12平方米が落成。
昭和61年(1986)
3月
新病院周辺に大学創立70周年記念行事としての県木の植樹が始まる。
3月19日
大学創立70周年並びに新病院竣工記念式典祝賀会を京王プラザホテルにて挙行。
3月25・28日
学内向け大学創立70周年並びに新病院竣工記念祝賀会ヒルトンホテルにて挙行。
4月1日
大学新病院が開院。
6月15日
同窓会総会が大学創立70周年と新病院竣工開院記念祝賀会を兼ね開催。
7月
宮崎秀樹氏が参議院議員に当選。
10月24日
全国支部長常任幹事懇談懇親会で,新病院の運用状況とマスタープラン学債について説明。
昭和62年(1987)
4月1日
「東京医科大学新聞のあゆみ」縮刷版第2編が大学70周年を記念して発行。
6月14日
ヒポクラテス基金2億円突破。
10月24日
全国支部長常任幹事懇親懇談会で新マスタープラン学債B号について説明と協力要請。
11月25日
第1回私立医科大学同窓会連絡会役員の集いが,本学同窓会の提唱により京王プラザホテルで開催。今後の開催が決定。
11月26日
東京医大がん研究事業団創立20周年記念式典。
12月16日
南病棟,中央病棟改修工事完成式。
昭和63年(1988)
4月
研修室が同窓会館内に開設。国内外の若手研修者の宿泊に資することになる。
5月
中嶋宏氏(昭和29年卒)がWHO事務局長に就任。
10月15日
全国支部長常任幹事懇親懇談会,及び臨時評議員会が開催され「大学病院敷地の高度利用について」の決議がなされた。大学の長期的な財政的安定及び教育,研究の活性化を図るため敷地を活用して基金棟及び教育研究棟を建設することとなる。
昭和64年(1989)
平成元年(1989)
1月25日
霞ヶ浦病院学生宿舎,鉄筋コンクリート造4階建が落成。
3月20日
霞ヶ浦病院外来本館,鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建が落成。
3月23日
霞ヶ浦病院40周年記念並びに外来本館竣工記念式典が土浦市京成ホテルで開催。
5月25日
同窓会設立70周年記念式典及び祝賀会が京王プラザホテルにて挙行。会員数は10,077名となり,物故者が3,031名で現在数7,046名と報告。式典にて本学昭和29年卒,WHO事務局長中島宏氏の講演。「東京医科大学同窓会70周年史」が刊行。
平成2年(1990)
3月23日
八王子医療センター看護婦宿舎A館,鉄筋コンクリート造5階建,延面積3,199.80㎡,腎研究施設,軽量鉄骨造2階建,延面積170.74㎡が落成。
7月16日
八王子医療センター外来病棟B館,中央病棟C館,地下1階地上5階建,延面積14,309.36㎡,教育研究棟,鉄骨造4階建,延面積,1,261.68㎡,厚生棟,鉄筋コンクリート造2階建,延面積1,371.28㎡が落成。
平成3年(1991)
5月31日
大学創立75周年記念式典および祝賀会を京王プラザホテルにて挙行。
平成4年(1992)
7月17日
東京薬科大学と姉妹校提携し調印。
平成5年(1993)
平成6年(1994)
平成7年(1995)
2月20日
地下鉄丸ノ内線新駅出入口が竣工。
3月10日
八王子医療センター内に法医学研究室,地下1階地上1階建,延面積286㎡が落成。
平成8年(1996)
11月16日
大学創立80周年記念式典祝賀会を京王プラザホテルにて挙行。大学創立80周年誌刊行。
平成9年(1997)
平成10年(1998)
2月13日
霞ヶ浦病院開院50周年並びに新病棟,地下1階地上6階建延面積10,473.13㎡の竣工記念式典・祝賀会挙行。
3月26日
八王子医療センターに研修医棟,地上3階延面積1,021.45㎡が落成。
4月14日
東京医科大学敷地内に総合情報部棟,地上2階,延面積1,055㎡が落成。
11月1日
中嶋宏氏が難病治療研究センター所長に就任。
平成11年(1999)
3月12日
同窓会設立80周年記念事業として,「自主自学」の記念額(太田義久氏書)を霞ヶ浦病院へ寄贈。
4月3日
同窓会設立80周年記念事業として,「自主自学」の建学の碑(太田義久氏揮亳)を八王子医療センターへ寄贈。
6月20日
同窓会設立80周年記念式典祝賀会を京王プラザホテルにて挙行。
平成12年(2000)
6月25日
同窓会総会にて平成13年度から年会費1万円に値上げが承認。
平成13年(2001)
6月24日
維持会設立50周年記念式典・祝賀会が京王プラザホテルにて挙行。
8月31日
霞ヶ浦病院用地10,381.68㎡を購入。
平成14年(2002)
3月19日
霞ヶ浦病院医療・福祉研究センター,鉄骨造地上2階建,延面積4,500㎡が落成。
4月5日
八王子医療センター開院20周年並びに新病棟,鉄筋コンクリート造地上7階建,延面積10,253㎡の竣工記念式典・祝賀会を挙行。
12月10日
東京医科大学敷地内に講義棟、地上2階、延面積469.8㎡が落成。
平成15年(2003)
平成16年(2004)
4月1日
大学病院敷地内に卒後臨床研修センターを開設。
平成17年(2005)
平成18年(2006)
8月20日
大学から同窓会館を学生の教育施設に活用したいとの要請を受け、同窓会、維持会事務所を中西ビル5階と6階に移転。
10月28日
大学創立90周年記念式典・祝賀会を京王プラザホテルにて挙行。
平成19年(2007)
6月24日
維持会総会にて、「東京医科大学維持会選考委員会内規」を改正。「維持会推薦の学校法人東京医科大学役員・評議員選考委員会内規」と「東京医科大学維持会役員選考委員会内規」に分離し、制定。
平成20年(2008)
平成21年(2009)
4月1日
霞ヶ浦病院を茨城医療センターと名称変更。
4月11日
茨城医療センター開院60周年記念ならびに新病院名披露記念式典・祝賀会が施設内にて挙行。
6月21日
同窓会90周年式典・祝賀会が京王プラザホテルにて挙行。
平成22年(2010)
1月
創立100周年事業として東京医科大学医学総合研究所を設置。
5月16日
臨時総会にて、同窓会は直接選挙により選出された学校法人の卒業生監事1名及び卒業生評議員20名を承認。
7月6日
医学総合研究所開設記念講演会・パーティーが病院臨床講堂及びハイアットリージェンシー東京にて開催。
9月
東京薬科大学および工学院大学と包括連携協定を締結。
平成23年(2011)
1月23日
東京医科大学維持会解散式をハイアットリージェンシー東京にて開催。
3月31日
東京医科大学維持会解散。
5月
東日本大震災に対し、同窓会は被災地岩手・宮城・福島支部宛見舞並びに義援金600万円拠出。
6月19日
同窓会員による直接選挙にて、会長1名、監事2名が選出され、同窓会総会にて承認。
7月
濟州大学校(大韓民国)と姉妹校提携調印。
7月
同窓会臨時総会において業務分担の人選が承認され、新たに法人化等検討委員会、創立100周年記念事業支援委員会など10委員会が発足。
11月
ソウル大学校医科大学(大韓民国)および盆唐ソウル大学病院(大韓民国)と学生交流・学術交流に関する協定を、盆唐ソウル大学病院と姉妹病院提携調印。
12月
ユトレヒト大学(オランダ)と学生交流提携。
平成24年(2012)
3月
同窓会館取り壊しに伴い、同窓会用スペース確保要望書を会長より大学法人理事長宛提出。
5月
山田風太郎(本名山田誠也:昭42卒)記念館後援会入会。
6月
同窓会員用創立100周年記念事業募金趣意書を作成発送。11月にも改訂発送。
10月
臺北医學大學(台湾)と姉妹校および学生交流契約締結。
11月
平成25年4月開設の医学部看護学科および大学院医学研究科医科学専攻修士課程の設置認可。
11月
ホーチミン市医科薬科大学(ベトナム)と姉妹校および学生交流契約締結。
12月
赤枝恒雄氏が衆議院議員に当選。
平成25年(2013)
3月 
EmotionalCapital 企画支援検討委員会テーブルマナー接遇講習会、「平穏死10の条件」講演会(講師長尾和宏先生:昭59卒)、東フィルクラシックコンサート等に在学生を招待。
4月
医学部看護学科および大学院医学研究科医科学専攻修士課程を設置。
5月
学校法人平成25年卒業生監事2名及び卒業生評議員20名候補者選出選挙を会員の投票により実施。
6月
平成25年度通常総会において一般社団法人東京医科大学医学部医学科同窓会定款が承認された。
7月
創立100周年事業として大学病院敷地内に教育研究棟(自主自学館)、地上16階建、延面積16,486.03㎡が落成。
7月
羽生田俊氏が参議院議員に当選。
8月
新病院建設のため同窓会館が取り壊され、52年間の歴史を閉ず。
8月
名誉教授伊東洋著「創学の碑東京医科大学の夜明け高橋琢也の真」出版。
10月
看護専門学校創立50周年記念式典・講演・祝賀会がハイアットリージェンシー東京にて挙行。
10月
ペーチ大学医学部(ハンガリー)と姉妹校および学生交流提携調印。
平成26年(2014)
1月
茨城医療センターが阿見町と連携協力協定締結。
1月
一般社団法人東京医科大学医学部医学科同窓会定款新宿公証役場にて承認。
1月
臨時総会において定款施行細則承認。新同窓会役員選出選挙実施方法承認。
2月
東京医科大学敷地内に第一看護学科棟、塔屋1階鉄骨造、一部鉄筋コンクリート造の地下1階・地上5階、延面積3977.41㎡が落成。
3月
一般社団法人東京医科大学医学部医学科同窓会会長・監事・理事候補者選出選挙実施。
4月
一般社団法人東京医科大学医学部医学科同窓会設立(東京法務局新宿出張所登記)。
5月
一般社団法人東京医科大学医学部医学科同窓会第1回社員総会において会長・監事・理事が選定され、業務執行理事・常任理事・顧問が承認された。